日航123便墜落事故「1985.8.12」

 

 日航123便は 何故 墜落したのか

 

*遺族コロンボ刑事が解き明かした「権力者、自衛隊がテロを共謀して

乗客乗員を殺害した事件」の全貌

              (1)自衛隊標的機の123便垂直尾翼への激突破壊  

              (2)日航123便が助かる唯一の機会:横田基地への着陸行動を自衛隊が妨害、禁止 

              (3)御巣鷹上空での自衛隊ミサイルによる撃墜

              (4)重傷の123便生存者を自衛隊特殊部隊が毒ガスで殺害

 

日航機墜落事故の概要

1985.8.12 乗客乗員524人を乗せた日航123便が上野村山岳地帯に墜落して、520人が死亡、4名が重傷を負った、世界で最大、最悪の旅客機事故。事故調査委員会が修理ミスの隔壁が破壊し、操縦不能に陥り、墜落したとの公式報告書を発表。事故原因が記載されず、多くの疑惑、矛盾が指摘されたが、国は一切説明責任を果たさず、告訴された「ボーイング社」「日航」「航空局」も無罪が確定して、迷宮入りになった旅客機事故。空の安全が第一の航空行政の航空局が再調査の指示を不作為して、権力者、自衛隊の加害責任を隠蔽した事件。

 

著者:遺族である小田が HP  プログを開設した理由

事故から25年、123便で墜落し、死亡した乗客乗員520名の墜落死の事故原因が不明の状態では 520人の犠牲者は永久に安らかに眠れる筈がないと決起奮起した遺族が懸命の調査で 事故から30年目に「日航機墜落事故 真実と真相」を出版、32年目に「乗客乗員怪死の謎―524人の命乞い」(文芸社)を世に問うた。多くの方の賛同を得たが、一方反論も受けた。

   本の表紙写真は 下に示す。

    

航空局、事故調査の安全委員会も一切公開質問状に回答せず、無視し、マスコミも傍観の姿勢を貫く情勢が続く。権力者の自己保身のための情報統制は依然として、生きている。

 掛かる著作で日航123便墜落の真実は 完全に明らかに出来たと考えるが 全ての方に理解出来、満足の行くものではないかも知れない。

 

何故なら、事故調査の全ての記載は無理で、ここでは事故調査での裏話や背景、動機など補足説明を行うことで、より一層理解して頂けることがこのHPでの説明の目的なのであります。

 

本「日航機墜落事故 真実と真相」
本「日航機墜落事故 真実と真相」
本「524人の命乞い」-日航123便墜落事故
本「524人の命乞い」-日航123便墜落事故

 *著者・遺族 小田周二 プロフィール

  生年月日  1937年 奈良県御所市生まれ

  学  歴  大阪大学工学部応用科学 化学工学修士

  職  歴  プラスチック製造会社に勤務 

研究、開発、製造、整備、品質管理、TQC などに従事

  現  在  神奈川県横浜市に在住

  家  族  日航123便墜落事故(1985.8.12)での犠牲者として、

次男小田浩二(15歳)小田陽子(12歳)

親戚 中上岑子(37)中上義哉(12歳)中上佳代子(10歳) 

が死亡した。

 

* 日航123便事故の事故原因究明のために

    ・遺族会 8.12連絡会 に参加

    ・日本の空の安全を願う会 主宰

    ・著作 「日航123便墜落事故 真実と真相」(2015.3 文芸社)

        「524人の命乞い-日航乗客乗員怪死の謎」2017.8 文芸社)

    ・その他 「日航123便撃墜事件 真実と真相」「日航123便は何故 墜落したのか」など 著作 多数

    ・公開質問状 「航空局」「運輸安全委員会(事故調の後継組織)「日本航空」に提出。

前記「航空局」「安全委員会」からは一切 回答ナシ。

    ・「日本航空」とは、事故原因について十数回 事故原因究明技術会議を開催中。

    ・「仮説X」:日航123便墜落の真実に基づき 告訴状を前橋地検に提出(2016.12)(2017.12)

           前橋地検より「不起訴」処分の通告。理由「嫌疑なし」 (2018.3.29)

  

 

事故調査委員会の事故原因「隔壁破壊説」は捏造された結論だった!!

 

 日航123便の垂直尾翼の破壊は事故の端緒であるが、これを後部隔壁部の破壊が原因だとし、墜落の原因とした段階で、事故

 調は墜落の事故原因を意図的に捏造を行ったのである。

  •  本来の事故調査は帰納法であるが、事故調は演繹法、三段論法で行った。墜落の事故原因:結論を先に決めての杜撰で疑惑の推論である。
  •  事故調査の科学的推論では「CVR[DFDR]「残骸」だけでなく、より重要な目撃目撃証言、関係者証言、告白を証拠と
  • して採用するが 事故調は無視しており、意図的な手抜きで捏造が行われた証拠である。      
  • 壊滅的な垂直尾翼の破壊は機内高圧空気の流出では起きない。更に同時にAPUも破壊することは、科学的に流体力学的に
  • 起きない。
  • 自衛隊司令官は垂直尾翼の破壊は「標的機の衝突だ」と告白し、日航も直後に「外部からの力で破壊した」と主張している
  • 日航事故機の操縦性の判断として、事故調も「飛行の継続が出来た」ボーイング社も「旋回、上昇、降下飛行が出来た」
  • と提起し、CVRの会話記録からも機長の指示に佐々木パイロットが忠実にコントロールしていて、手動でのエンジン出力調整による操縦が出来たことを示している。
  • 操縦出来れば、横田に着陸出来るのは業界の常識で日航も認めている。高濱機長は横田に着陸を申請して横田は許可しているアントヌッチ中尉は無線傍受で確認し証言した。然るに 何故横田に着陸出来なかったかの説明がないのは自衛隊戦闘機の追跡事実から、権力と武力による着陸妨害、禁止によるものと判断出来る。
  •  川上村レタス畑で多数の農民は123便の不時着を目撃しているが、報告書には記載がなく、又飛行航路、飛行高度も大きな相違がある。CVR,DFDRの修正、書き直しが行われたと判断出来る。
  •  日航123便の墜落の事故原因が特定せず、書かれていない。失格の公式報告書である。
  •  墜落の直前に生還者の落合由美氏は「物凄い横揺れして、急降下::墜落した」と証言し、CVRには「機長らの驚愕の絶叫」が記録されている。地上の住民が「炎を上げ、黒い煙を出して飛行する123便」「123便を置き掛ける流れ星」を目撃し、墜落の数時間後には 日航副長町田直が「日航機は ミサイルで撃墜されたんだ」と遺族に真っ青な顔で告白している。
  • 自衛隊、群馬県警は生存者救出を意図的に放棄し、自衛隊特殊部隊は重傷の生存者の毒ガスでの殺害を図った。
  • 生存者救出に命がけで活動した米軍アントヌッチ中尉の活動には、日本側からの救出中止、撤退、活動の緘口令を要請した。事故調はこのアントヌッチ中尉の活動を一切報告しなかった。自衛隊幹部は救出活動の不作為の言い訳をしたが10年後にアントヌッチ中尉が告白しても一切説明責任を果たしていない。
  • 事故から2年後事故調は「隔壁破壊説」なる事故報告書を公表した。多くの疑惑、矛盾を提起されても事故調は一切無視して説明責任を果たさなかった。
  • 1999年、事故調は世界最悪の日航123便墜落事故の資料を完全に廃棄した。
  • 捏造の証拠を処理廃棄し、再調査への道を閉ざす暴挙であった。
  • 事故調の後継である「運輸安全委員会」は、事故から26年後、遺族だけを集めた「隔壁破壊説の説明」を分かり易く解説する集会を開催し、遺族を洗脳し、事故原因の方針を変更させる暴挙を実施し、成功した。
  • 事故から、30年後、2015.8 航空局、日航は 1990.7の前橋地検の不起訴判断を持ち出し、告訴された「ボーイング社」「日航」「航空局」の三者は無罪だと断言し、司法として「無罪は確定している」と文書で通達して来た。
  • 加害者だとして遺族に補償金を支払った日航は2016.8「支払った金は一時的なお見舞い金だ」と文書で訂正して来た。
  • ここに、事故調の「隔壁破壊説」は崩壊した、事故調、国は 嘘を吐いたことを 航空局、日航が認めたのである。
  • 日航123便ミサイル撃墜乗客乗員殺害事件は 自衛隊の不祥事を完全に隠蔽して、権力の維持を図るために、総理と自衛隊がテロ攻防して実行した残虐な市民殺害であると判明した。報告書を捏造し、操縦出来る123便の横田への着陸を禁止し、最後はミサイルで撃墜した。更に完全犯罪を目論み、生存者の毒ガスでの殺害を図った残忍な事件であったことがここに明らかになったのである。

 

*この詳細は 小田周二著「日航123便墜落事故 真実と真相」「日航123便乗客乗員怪死の謎524人の命乞い」に記載した。この本に書ききれなかったことは小田のブログに書き込み、報告したくブログを読んで検討して頂きたい。